2018年9月21日金曜日

展覧会デビュー


この度、羊蹄乃多笑(タワラ)号を、日本犬保存会(日保)の展覧会に初出陳して参りました。

 
秋の北海道支部展。挨拶していらっしゃるのが加藤支部長。名札をつけたお二人が審査員で、向かって左が田野崎先生(雄担当)、右が石井先生(雌担当)です。

 
審査は、雄、雌に分かれ、さらに月齢ごとに、幼稚犬組(4か月未満)、幼犬組(4か月~7か月未満)、若犬1組(7か月~1年未満)、若犬2組(1年~1年6か月未満)、壮犬組(1年6か月~2年6か月未満)、成犬組(2年6か月以上)の区分により行われます。
 
 
2月15日生まれのタワラは、この日ちょうど7か月になったばかりで、若犬1組に該当。
審査は若犬1組から開始し、リンクには各組ごとに若いほうから引き出されるので、なんとトップバッターです。いざ出陣。
 
 
午前中の第1審は個体審査で、出陳犬の1頭ごとに、審査補助員による咬みあわせと歯数の検査から始まり、審査員による体高測定、そして、日本犬標準に照らした、耳、目、口吻、頭・首、前肢、後肢、胸、背・腰、尾、被毛といった何項目にも及ぶ体の部位の形や色や角度などの審査、それら総体としての「一般外貌」の評価へと進み、さらには、決められた経路を歩かせての歩様や、審査員が足音を鳴らしたり手を振る等の刺激を与えた時の反応など、「日本犬の本質とその表現」を、微に入り細に渡って見極められます。
 
 
展覧会には、日保会員所有の血統登録犬でなければ出陳できず、去勢や避妊をした犬も参加できません。
評価は、優良・特良・良・可の4段階で行われますが、歯が1本欠けても、体高が標準範囲を1センチ超えても優良はもらえず、実質失格となる(その時点で棄権することになる)ため、この舞台に立てること自体が特別なことだとも言われます。
 
 
タワラは、KJによる毎日の立ち込み、歩様の訓練、犬友や人友たちに協力してもらっての犬慣らし、人慣らし訓練、村まつりを渡り歩いての大きな音や人ごみ、知らない人にもおびえない訓練等々、人犬一体となってがんばった甲斐あって、展覧会はこれが初めてであるにもかかわらず、非常に良く立っていました。 
 
 
暴れることも、怖がることも無く、終始、落ち着いてしっかり立っていました。
いつもの無邪気なタワチョンではなく、KJのハンドリングに従い、なんだかずいぶん大人びた様子できちっと立っている多笑号の姿に、正直、とても驚きました。
 
 
午後からの第2審では、同じ組の犬たちがリンクの中で全頭輪になって並び、審査員が優劣を比較しながら順位をつけていく比較審査が行われます。
タワラが出た若犬1組には、全部で9頭がエントリー。KJも気合が入ります。
 
 
午前中に引き続き、タワラの状態は本当に良かったんですが、周囲は大ベテランのみなさんばかり。初心者の私たちには自信が無いこともあって、あの子のほうがタワラより良く見える、あの子もだから、うまく行って3席、たぶん4席かな・・・と思って見ていました。

 
ところがところが。審査員の先生から「一歩前へ」と一番先に声をかけられたのがタワラ。KJも一気に心拍数が上がります。
そして、同様に選抜された上位4頭による、さらなる比較。ハンドリングの名手を見ていると、ここぞとポーズを決めたら審査員のほうへ視線を送ってアピールしていますが、そんな余裕はいっさい無かったそうです。周囲の犬も目に入らず、ひたすらタワラに向かって動くなよと念じつづけたとか。
 
 
審査員の先生が、タワラとその隣に並んだ犬とを何度も見比べて、ずいぶん悩んでいるようだったのでハラハラドキドキさせられましたが、最終的に、4頭の中で一番先頭=暫定1席の位置に並べられたのはタワラでした。
嬉しくて思わずほほが緩んでしまうKJに、まだ審査は終わっていないよ、立って立ってと気合を入れなおして。

 
改めて暫定1席から2席、3席、4席、それから「前へ」と選抜されなかった犬たちも末席まで全頭を並べて、これが本当に最後の比較。
審査員の「これで決定します」の声に、タワラの若犬1組での優良1席、若犬賞、道内最高賞が確定。予想もしなかった結果にふるえが来ました。本当に、心底嬉しかったなあ。
 
 
「そのまま動かないで」と審査員、補助員が順位を確認して記録をとり、全員が緊張を解いた瞬間です。3席、4席のハンドラーさんたちが、タワラを凝視していますね・・・。大ベテランのみなさんを差し置いて、タワラがトップとは、何だか申し訳ない気もしてしまいました。
 
 
さて、会場では若犬1組に引き続き、若犬2組、壮犬組、成犬組へと、月齢を上げながらどんどん審査がつづきます。
 
 
お手本となる犬やハンドリングを実際に見ることができるのは、展覧会の場しかありませんから、タワラ号1席獲得の喜びにひたる間もなく、犬をそそくさと車にしまって見学します。

 
こちらは、私たちの師匠、加我さんの、雄、壮犬組でのハンドリング。
連れている犬、加我の州号は、春の道展でも壮犬賞、日保本部賞を獲得した良犬です。
 
 
北海道一とも言われるハンドリングから、引き綱の持ち方、犬の集中のさせ方、顔や肢の位置の修正の仕方、ハンドラーも含めた決めポーズの形など、私たちは多くを学ばなくてはなりません。
州号は今回も優良1席、壮犬賞、道内最高賞をとって日保本部賞審査へと進みました。

 
こちらは雄、成犬組に登場した、大河号。出陳目録では父犬が黒竜号とあり、玄の異母弟になります。黒竜号自身は既に亡くなっているため、玄にとっては貴重な血縁です。春展では見ることができず、ずっと気になっていましたが、ようやく会うことができました。
大河号も優良2席、成犬賞をとって日保本部賞審査へと進みました。

 
展覧会のメインとなる、日本犬保存会本部賞は、雄、雌の別に、壮犬組、成犬組でそれぞれ1席、2席を獲得した4頭によって争われます。写真は雄の本部賞審査です。
ここまで来ると、もう私たちには優劣は分かりません。いずれも素晴らしい犬たち、また、気迫のこもったハンドリングでした。特にやはり加我さんと、向かって一番左端の今崎さんは、審査員への視線の送り方までシンクロしていてスゴイ迫力ですよね。どうだ!俺を見ろ!って感じ。

 
結果、加我の州号が、見事に本部賞を受賞しました。
 
<日本犬標準>
●本質とその表現:悍威に富み良性にして素朴の感あり、感覚鋭敏、動作敏捷にして歩様軽快弾力あり。
●一般外貌:雄雌の表示判然とし体躯均整を得、骨格緊密にして筋腱発達し、雄は体高体長の比100対110にして、雌は体高に比し体長稍長し。体高雄39.5糎、雌36.5糎とし、上下各1.5糎の差は許される。
 
 
展覧会はこのように、終始、緊張感に富み、時おり雄犬どうしのもめごとが勃発する(笑)以外は、静かに、粛々と進められます。
昼休み前に行われた、幼稚犬、幼犬たちの審査が唯一和む場面だったでしょうか。この子も将来は本部賞を狙う逸材になるのでしょうか。

 
今回、リンクの中のタワラは素人目にも良く見えて、想定外の好成績を収めることができましたが、しかしその勝因を問われても、私たちには正直まだ良く分からないというのが実態です。
ですが、こうして訓練と実戦の経験を重ねることで、犬は学習し、人も眼力を付け、高い評価を得る犬や魅せるハンドリングというものが次第に分かってくるという手ごたえが持てました。
 
 
今回はビギナーズラックだっただけかもしれないし、次もまたタワラをしっかり立たせることができる自信があるわけでもないのですが、KJのやる気はいよいよ増して、早速、訓練用の自転車を買って来ましたよ。そして、過去の展覧会の成績表や受賞犬の写真などを見ながら、次はどこの展覧会に行こうかと思案中です。
 
 
とにかくKJとタワチョン、がんばりました。栄えある1席、最高賞受賞、おめでとう!
去年、若2組で道内最高賞を受賞したヨネ姉さんも祝福してくれました。
先は長いぞ、まだまだがんばれー!!!

 
 
 
 
 


 
 
 


 

2018年9月1日土曜日

旬の秋田へ

 
この夏は、久しぶりの夏休み、犬づれ旅行をしてきました。
去年は仕事の都合、一昨年はヨネたちが産まれたことで犬づれの夏休みはありませんでしたから、2015年の知床以来になります。
 
 
3年前はまだ、玄(ゲン)1匹だけでしたが、今は玄・米(ヨネ)・タワラ(多笑)の3匹づれ。
ニセコの小雪さん家でお留守番のトキメ(時女)を含め、玄家もいつの間にかすっかり大家族になったものです。
 
 
KJの休みの都合上、相変わらず、深夜出発1泊4日で朝帰り、走行距離1,000キロの強行軍ですが、犬たちもすっかり慣れたもの。
車に乗った瞬間にお休みなさいで、そのまま数時間後には船上の人、いや犬になります。
 
 
昨秋の和歌山以来の津軽海峡フェリーさん。
タワラは初体験になりますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
早朝の青森港に着いたら、開店直後の魚菜センター(既に長蛇の列で驚きました)で食券を買い、「のっけ丼」で腹ごしらえをして、いよいよ旅の始まりです。
 
 
今回の旅の目的は、「きりたんぽ」発祥の地と言われる秋田県・鹿角市で、秋に行われる日本犬保存会秋田支部展の会場を確認することでした。
 
 
会場予定地にたたずむタワラ嬢。
しかし真夏の秋田は暑くて暑くて、日かげ一つない炎天下の駐車場は、犬には過酷な環境です。本当は練習もしたかったところですが、早々に退散してここからは観光旅行と切り替えました。
 
 
2つ前にもどって(笑)、「きりたんぽ」発祥の地である鹿角市です。
きりたんぽの起源はヤマゴ(きこり)かマタギ(猟師)の携行食とも言われていますが、いずれにしても、山の食文化。
 
 
 もともとは、味噌をつけて焼くだけの素朴な山中食だったきりたんぽが、今から130年以上も前の明治初期に、「尾去沢鉱山」などで繁栄していた鹿角市で、当時はとても高価な調味料であった「醤油」の醸造が始まり、その醤油と出会ったことで、醤油味の鍋に進化し、料亭料理に取り入れられた。
 
 
さらには、明治の中ごろには、大館市の老舗料亭が、日本三大地鶏の一つにもなっている「比内地鶏」を用いる現在のきりたんぽ鍋スタイルを完成させて、その相乗効果で全国的に知られる秋田名物になっていったのではないか、とされています。(発祥の地鹿角きりたんぽ協議会など)
比内ではお土産用に比内地鶏の精肉1羽分をお買い上げ。
 
 
鹿角市では、各所できりたんぽづくりが体験できる他、11月11日をきりたんぽの日として、きりたんぽ発祥まつりなるものも催行されるようですよ。いつか行ってみたいなあ。
 
 
また、過去の鹿角市繁栄の基礎となった「尾去沢鉱山」ですが、江戸時代には主として藩による金山・銅山、明治時代以降は三菱の経営による銅山として、昭和53年の閉山まで、のべ800キロにも及ぶ坑道がはりめぐらされており、現在は、日本最大級の鉱山跡地として、坑道や選鉱場、精錬所跡等が公開されている、産業遺産です。(史跡尾去沢鉱山
 

最盛期には4千人を超える人たちが暮らし、働いていたという鉱山には、隠れキリシタン、尾去沢銅山事件、400名近い死者を出した災害、閉山後の排水問題などなど、語られるべきことがあまりに多く、ガイド付きツアーや砂金掘りの体験メニューまで用意されています。


私たちは時間も無く、1.1キロの標準コースを駆け足でめぐっただけでしたが、それでも、シュリンケージ採鉱法と呼ばれる方法で採掘された、延々と続く坑道、立坑などの跡を見て、去年、岩手の龍泉洞(日本三大鍾乳洞の一つ)で見た自然の驚異とはまた違った、人間の営みのスゴサといったものをじゅうぶん感じることができました。

 
道具は使ったとはいえ、ほぼ人力で掘ったわけですから、日本に希少な地下資源確保のためとはいえ、なんともすさまじい。


 

今は廃墟になっていますが、当時は何千人もの人たちが働いていたというのですから当然と言えば当然ですが、集落に神社や学校、購買施設等があったのはもちろん、坑内に事務所、休憩所、食堂もあって、現在の坑道は年間通じて13℃という寒いぐらいの温度ですが、使われていた頃はやはり相当暑かったのでしょうか、半裸姿の男性たちが黙々と食事をしている写真が衝撃的でした。


 
 
こちらも、再び来たいと思わせられる場所でした。
田沢湖や角館のような名だたる観光地ではありませんが、鹿角市は、時間をかけてしっかりと見たい、隠れた見どころ満載の町でした。(当然、「坑内熟成日本酒」は買って帰りました(笑))
 
 
その後は、マタギの聖地、「阿仁」と秋田観光地の定番、「田沢湖」を猛スピードで回って宿泊地の乳頭温泉へ。
 
 
 
 
時間が無いとはいえ、量り売りの「どぶろく」購入は欠かせません(笑)
その他、「バターもち」と「包丁」(マタギには解体用の刃物が欠かせないことから、西根さんという、ハンター業界ではとても有名な製作所があります。)もお買い上げ。
 
 
しかしまあ、犬が3匹もいると、記念撮影もオオゴトです。
まずもって整列させることが難しく、ましてや全員がこちらを向いてくれることなど奇跡です。
田沢湖では「地ビール」をお買い上げ。というか、この周囲は何か買わないと駐車場が使えないというシステムでした・・・。
 
 

それにしても、真夏の秋田は暑すぎました。
どこへ行っても駐車場に日かげは無く、走行中もカンカン日照りに照らされて、途中から、遮光シートをはったままクーラー全開での走行でしたが、観光のために停まって人間が車を離れる度に、犬たち自身の体温もあってクーラーの切れた車内の温度は急上昇。犬はぐったり。
真夏の暑熱対策が、今後の犬づれ旅行に向けて最大の課題になりました。
 
 
今回、宿泊地に選んだ「乳頭温泉郷」は、温泉ファンなら一度は訪れたい憧れの秘湯。それぞれ源泉を異にする7つの温泉(宿)から構成され、江戸時代、明治時代からつづくという宿や、木造校舎を移築した温泉などのたたずまいが独特の風景を構成し、タイムスリップしたような空間でした。(乳頭温泉郷) 
  
運よく直前にキャンセルが出て泊まることができた「妙乃湯」は、渓流にたたずむモダンジャパニーズ、とも表現されていますが、露天も内湯もいくつもあるお風呂が良いのはもちろんのこと、女将が東京でインテリア関係の仕事をされていたということもあって、スタッフの方々のサービスや、部屋の内装、家具、調度品の数々まで、とてもセンスの良い宿でした。
 
 
女性客に人気抜群というだけあって、食事も、山里らしい素朴さながら秋田名物、郷土料理のそろいぶみ。その美味しさもさることながら、器ともりつけの美しさに感心させられました。特に、木の葉や草花が随所に使われていて、コーヒーカップにまでそえられていたことに心打たれました。
 
 
一皿一皿に、とにかく手間がかけられています。
和風のオーベルジュと言ったら良いかもしれません。
 
 
 
 
どれもこれも美味しくて甲乙つけがたかったけど、朝食のハタハタがとっても美味しくて、北海道で食べる味とはぜんぜん違い、買って帰りたくて仕入れ先を聞きましたが教えてはもらえませんでした。(当たり前か)

 
 
犬たちは車中泊で、食事もいつもの黄土色の(笑)ドッグフードでしたが、暑さや疲れで食欲が落ちることもなく、みんなでパクパクいただきました。
犬連れ旅にとっては、駐車場が狭くて、例によって日かげが無いことで停める場所を決めるのに苦労するのと、道路が狭くて散歩も大変ですが、それを差し引いても泊まる価値の十分ある、素晴らしい宿でした。
 
 
翌日は、稲庭うどんの生めんと、比内地鶏の親子丼を食べること、秋田犬に会うこと、曲げわっぱを買うことを目標に定めて、またまた猛スピードで角館~秋田市~男鹿半島~大館を回って青森から帰道です。
 
 
武家屋敷の古い町並みには柴犬が良く似合う。そして、「角館」で会う人はみなさん、犬好きな方が多かった気がします。記念撮影中の玄、ヨネ、タワラに優しい笑顔と視線。

 
人力車を引くおじさんも、「ババヘラアイス」をよそってくれるおばあさんも、お土産屋さんのおばさんも、玄、ヨネ、タワラを囲んでひとしきり犬談義に花が咲きました。ババヘラアイスは持ち帰れないので、お土産に農家さんの直売スタンドから「いぶりがっこ」を買いました。


それはそうですよね。ここは秋田県ですもの、「秋田犬」の本場。みなさんに教えていただいて、有名な「武家丸」くんに会うこともできました。暑さとお客さんの多さにお疲れだったかな・・・

 
ここも時間が無かったので(言い訳ばかりですが)、中までしっかりと見ることができたのは、「安藤醸造」さんのみ。お土産に特別な「お醤油」や「味噌」、「甘酒」を仕入れて秋田市へ。
 
 
 
秋田市では、「稲庭うどん」の生めん、乾麺、そうめんの食べ比べ。生めんが食べられるところがなかなか無くて、狙いを澄まして開店と同時に「寛文五年堂」へ。
これが乾麺は乾麺、生めんは生めんでそれぞれに異なった美味しさで、生めんのほうが美味しいとは簡単には言えません。逆に、そんな稲庭うどんはたいしたものだと思いました。もちろんお土産用にもお買い上げ。
 
 
お店の場所は「エリアなかいち」の1階で、エリアなかいちと言えばそう。ちょうど甲子園では「金足農業高校」の試合が行われていて、猛暑の中、外でも地下でもたくさんの人がパブリックビューイングに見入っていました。
金足農高、その後の人気急上昇を思えば、写真を撮ってくれば良かった(笑)
 
 
その後は小学校の社会科で習ってから、一度は見たかった、「八郎潟の干拓事業」現場をチラ見、「男鹿半島」でできたばかり大混雑の道の駅で「ハタハタ」の飯寿司やらみりん干しやらウワサの海草「ギバサ」を購入。
 
 
 
秋田では昔から食べられていたという県民食、ネバトロの海藻(アカモク)ですが、ネバネバのレベルが違う。箸で持ち上げただけでは切れないので、ハサミで切って試食させていました。
見た目はあれですが、フコイダン、ポリフェノール、ビタミンKたっぷりの健康食です。
 
 
さらに大館まで移動し、「秋田犬ふれあい処」は既に閉店しており断念しましたが、時間ぎりぎりですべりこんだ、ここもオープンしたての「曲げわっぱ」(天然秋田杉をうすくはいで熱湯につけて柔らかくして曲げ加工を施し、山桜の皮でぬい止めをして作るもの)専門店「柴田慶信商店 わっぱビルジング」にて、念願のコーヒーカップを、製造が追いついていなくてもう展示品しか在庫が無いというところを、無理を言って購入。
 
 
最後に、大混雑の比内地鶏有名店「秋田比内や大館本店」にて、1時間並んで1時間待って(涙)・・・ようやく「比内地鶏の(ミニ)親子丼」にありつき、今回の旅を〆ました。
(フルサイズの親子丼はお昼の時間帯にしかありませんので注意してください。)


 
ザギトワ選手に贈られた秋田犬や、この夏甲子園で大活躍した金足農業高校などのおかげで、まさに今が旬の感のある秋田県ですが、今回の旅で一貫して感じたのは、歴史の長さ、重たさということでした。
 
 
なんと奈良時代に発見され、その産出された金が「奈良の大仏」に使われたとも言われる尾去沢鉱山は別格として、万事万三郎という伝説の猟師が日光大権現から「山立御免」、今で言う狩猟免許を得たのが始まりと言われるマタギの成立は平安時代とも鎌倉時代とも。
 
 
さらには、藩主の湯治場でもあったという乳頭温泉、角館の武家屋敷、安藤醸造、稲庭うどんの寛文五年堂、といった数々は江戸時代から変わらずつづく営みであり、暮らしであり。曲げわっぱも江戸時代に下級武士の副業として藩が推奨したのが始まりだそうです。
 
 
行った先々、人工的で豪華な観光施設があるわけではないのですが、至る所に歴史ありで圧倒されました。
 
 
秋の秋田支部展がますます楽しみになってきました。
無論その前に、まずは北海道支部展での上位?入選が課題です。
 
 
今回は秋田犬にはさわれなかったし、白神山地も行けなかったから。
「秋の さく、さく、あきた」(秋田県秋の大型観光キャンペーンキャッチフレーズ)に行けますように。
がんばってねー、KJ&タワチョン!!