「頂きます」とは、「私の命のために動植物の命を頂きます」の意味であり、こうした言葉を食事の前にとなえるのは日本にしかない文化なのだそうです。日本人の感性ってすごいですよね。
食べずに生きていける人間は一人もいません。
そして食べるという行為は、常に、他の生命をいただく行為です。
今日は、ヒヨコから育てた北海地鶏を解体処理します。
現代の都会暮らしでは、こうしたつながりが実感できにくくなっているため、さまざまな問題が生じているという意見もあります。
そのためか、最近では、ニワトリを解体処理する体験会が開催されたり、マンガ「銀の匙」でも、「豚丼」と名付けられた子豚が成長して食肉になるまでのストーリーが描かれたりしました。
つかまえたニワトリは暴れないように足と翼をしばっておきます。
いつも思うのですが、命を頂くという作業は、その命が動物であれ植物であれ、決して容易なことではありません。また、容易であってはいけないことだと思います。
一気にのどを切ってと殺します。
逆さに吊るして血抜きをします。
スーパーに並ぶ、スライスされてパック詰めされた食肉の裏側には、どれだけシンドイ作業があるのか。美しく飾られた野菜の裏側にだってそうです。
それを、どこかで誰かがやってくれているから、私たちは食べられるわけです。それを決して忘れてはいけないと思うんです。
一斗缶にお湯を温めて。
熱いお湯の中にしばらくつけます。
羽根むしりを終えた状態。
まだ産毛が残っているのでバーナーで焼きます。
あとは包丁でバラシていくだけ。
手羽、モモ、ムネ、ササミ、ガラに分けます。
他にレバー、ハツ、スナギモもとります。
だから、「いただきます。」と対になっている、「ごちそうさまでした。」の言葉。
馳走とは、食事を出してもてなすために奔走する様子であり、ご馳走様でしたとは、いろいろと大変な思いをして食事を準備してくれた方への感謝を表す言葉なのだそうです。本当にその通りだよね。
さあ、いただきましょう! いただきます!
サンファームのおイモで育った北海地鶏、太陽の光を浴びながらそこらじゅうを自由に走り回って、時々は人間を突っついて蹴飛ばされたりもして。
もう、美味しいに決まっています!
お刺身で。
焼いて。
お鍋で。(スミマセン、写真がありません。)
最後はうどんに。(留寿都のでんぷんうどん、落葉きのこと。)
雑炊に。(・・・写真がありません。)
これはねえ、もうブロイラーとは全然ちがって。これを固いと言う人は言うのでしょうが、実にそう、歯ごたえのしっかりある、パサつかずみちっとして、味の濃い、心底美味しいお肉でありました。
ヒヨコがニワトリになり、トリ肉になるまで、まずは数が多くて餌の用意が大変だし、小屋にしまい忘れるとキツネにとられるし、ニワトリどうしで喧嘩はするし、いろいろと大変だったけど、また来年も頑張りましょー、って言いたくなっちゃいます。
やあ、美味しいってスゴイことだね!
オイラも食べた~い!
北海地鶏、ありがとう。 ごちそうさまでした。
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